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クモの糸の粘着力の秘密を解明 ―自然界に存在する「天然イオン液体」の発見―

 室蘭工業大学 大学院工学研究科 趙 越 准教授、豊田工業大学 レーザ科学研究室 藤 貴夫教授、工学院大学 先進工学部 坂本 哲夫教授らは、クモの巣の粘着物質に含まれる未知の「天然イオン液体」を発見しました。本研究成果は、2025年3月11日、米国化学会(ACS)刊行の「Langmuir」誌に掲載されました。 

研究のポイント 

 クモの巣の粘着成分には、これまで知られていなかった「天然のイオン液体(※1)」が含まれていることを発見しました。このイオン液体は、水和リン酸二水素コリンであり、粘着成分の中でタンパク質の溶解を助け、クモの巣の高い粘着力を生み出していることが明らかになりました。 本研究では、飛行時間型二次イオン質量分析(TOF-SIMS)(※2)や中赤外ハイパースペクトルイメージング(※3)などの最先端の手法を用いて、粘着成分の化学成分の分布を詳細に可視化しました。 この発見は、バイオ接着剤や新しい機能性材料の開発への応用が期待されます。

研究の概要 

 クモの巣は優れた粘着性を持ち、獲物を捕らえるための巧妙な仕組みを備えています。本研究では、クモの巣の粘着成分(粘球)(※4)の構成成分を詳しく調査し、その中にイオン液体として機能する化合物が含まれていることを明らかにしました。特に、水和リン酸二水素コリンがタンパク質の溶解を促進し、粘着成分の粘性や硬化を制御する重要な役割を果たしていることが分かりました。これにより、クモの粘着成分が環境の変化に適応し、優れた接着性を発揮するメカニズムを新たに解明しました。 

研究の内容 

 本研究では、クモの粘着物質の化学成分の分布とその役割を明らかにするため、飛行時間型二次イオン質量分析(TOF-SIMS)(※2)および中赤外ハイパースペクトルイメージング(※3)を用いた詳細な分析を行いました。その結果、粘着物質には水和リン酸二水素コリンが含まれており、これがイオン液体として機能していることを突き止めました。このイオン液体は、粘着物質の中のタンパク質を溶解する働きを持ち、クモの糸が獲物に付着した後に水分が蒸発することで、その濃度が変化し、結果としてタンパク質の硬化が促進されることが分かりました。 

 クモの巣の粘着メカニズムは、環境に応じて粘着性を調整する高度なシステムです。図1に示すように、粘着物質が獲物や物体と接触すると、その表面積が急速に広がり、水分が蒸発します。この過程で、液体中の水和リン酸二水素コリンがイオン液体として機能し、タンパク質を溶解して柔軟な状態を保ちます。しかし、水分が蒸発すると、イオン液体の濃度が変化し、タンパク質が硬化して接着力が強化されます。このダイナミックな応答により、クモの巣は高い粘着力を発揮し、獲物をしっかりと捕えることができます。  また、粘着物質から水和リン酸二水素コリンを除去する実験を行ったところ、タンパク質が水に溶けにくくなり、硬化した状態で残ることが確認されました。このことから、水和リン酸二水素コリンが粘着物質の粘度や硬化プロセスを調節し、クモの糸の優れた粘着性を支える重要な要素であることが明らかになりました。さらに、イオン液体の存在がクモの粘着物質の均一な分布とその環境応答性に寄与していることも示されました。 

 これらの成果により、クモの巣の粘着物質は単なるタンパク質と水の混合物ではなく、天然のイオン液体を含む高度に制御された接着システムであることが判明しました。この発見は、自然界の接着メカニズムの理解を深めるだけでなく、新しいバイオ由来の接着剤や機能性材料の開発にも貢献する可能性を示しています。

図1. 水和リン酸二水素コリンは、クモの粘着物質の中でイオン液体として機能し、タンパク質の溶解を助けます。粘球は基板との接触前には球状の液滴として存在し、均一な構造を保っていますが、基板に粘着すると液滴が広がり、水分の蒸発に伴って内部のタンパク質が硬化し、強い接着力を発揮します。 

今後の展望 

 本研究で発見された「天然のイオン液体」は、生物が持つ高度な接着機構の解明に貢献するだけでなく、バイオ由来の新しい粘着剤の開発やバイオポリマーの加工技術、さらにはバッテリー電解質の開発など、多方面への応用が期待されます。 

論文情報 

論文名:Revealing the Hidden Natural Ionic Liquids in Spider Glue: Insights from the Adhesion Process 

雑誌:Langmuir 

著者名:Yue Zhao *, Takao Fuji, and Tetsuo Sakamoto (* 責任著者) 

DOI:https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.langmuir.4c05288 

研究助成 

 本研究は、科学研究費助成事業 (JP21K14556)、大学共同利用機関法人自然科学研究機構 新分野創成センター 先端光科学研究分野プロジェクト (01212208, 01212306)、および科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 (CREST) (JPMJCR17N5) の助成を受けて実施されました。 

用語解説 

※1 イオン液体   

イオン液体とは、常温またはそれに近い温度で液体の状態を保つイオンのみで構成された塩の総称です。一般的な塩(例えば食塩)は高温でなければ溶融しませんが、イオン液体は低温でも液体のまま存在する特性を持っています。イオン液体は揮発性が低く、優れた溶媒特性や電気伝導性を持つため、電池や触媒、バイオマテリアルなど幅広い分野で応用されています。本研究では、クモの巣の粘着物質に水和リン酸二水素コリンが含まれており、これがタンパク質を溶解する「天然のイオン液体」として機能していることを発見しました。   

※2 飛行時間型二次イオン質量分析(TOF-SIMS)   

飛行時間型二次イオン質量分析(Time-of-Flight Secondary Ion Mass Spectrometry, TOF-SIMS)は、試料の表面にイオンビームを照射し、放出された二次イオンを検出することで、表面の元素や分子を高感度に分析する手法です。TOF-SIMSでは、飛行時間型質量分析(TOF)を用いることで、質量の異なるイオンが飛行する時間差を測定し、試料中の化学成分を特定できます。本研究では、クモの粘着物質に含まれる低分子化合物やタンパク質の分布を詳細に可視化するためにTOF-SIMSを活用しました。   

※3 中赤外ハイパースペクトルイメージング   

中赤外ハイパースペクトルイメージング(Mid-Infrared Hyperspectral Imaging)は、試料に中赤外光(波長3〜20 µm)を照射し、吸収スペクトルを高解像度で測定することで、化学成分の空間分布を可視化する手法です。従来の赤外分光法と異なり、多波長のデータを同時に取得できるため、試料の成分を詳細に解析できます。本研究では、クモの粘着物質の分子レベルでの構造や化学的変化を調べるために、この手法を用いました。   

※4 粘球(Aggregate Glue Droplet)  

粘球とは、クモの巣の捕獲糸に形成される微小な粘着液滴のことです。クモが分泌する粘性のある液体が、表面張力の作用で球状の構造を形成し、獲物が接触すると広がって強力な接着力を発揮します。

本研究では、この粘着物質が「天然のイオン液体」を含んでいることを明らかにし、その成分と接着メカニズムを詳しく解析しました。   

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研究に関する問い合わせ 

室蘭工業大学 大学院工学研究科 准教授 

趙 越 

E-mail:zhaoyue@muroran-it.ac.jp 

報道に関する問い合わせ

国立大学法人室蘭工業大学総務広報課秘書広報係

Tel:0143-46-5008

E-mail:koho@muroran-it.ac.jp